母親の疎開先
急に暑くなりましたね。しかしうちにとっては雨さえ降らなければOKなんですけれどもねー・・・ 今日もまた雷の予報も出てるんでどうかなー・・・
きのうは1日お休みをもらって秩父の方に行ってきました。
知らない人も多いかと思うのですが、哲は僕のいとこにあたります。母親の旧姓は「富田」というのですが、哲の正式な姓名は「富田哲之」といいます。つまり僕の母親の弟の息子が哲ということになります。
その哲のお父さんとお母さん(僕からすると叔父と叔母にあたるのですが)と、もう一人の叔父(おふくろと哲の親父さんの間)とその奥さん、そして僕と僕の母親の6人で行ってきました。
なぜ秩父かというとそこが富田家の発祥の地だからです。ですから当然母親の父親が生まれた地でもあります。そしてその周辺には冨田姓の家が今でもたくさんあるようです。
まずおふくろの父親が書いたという仏画というか書というか、なんていうんでしょう???とにかく写真を見てもらえればわかると思うのですが、そういうのが飾ってある「菊水寺」というお寺へ行ってきました。おそらく若いときに頼まれて書いたんじゃないかなーと母親は言っていました。
そこから母親を含めた兄弟姉妹4人が戦時中疎開していて、その頃通ったという小学校に行ってみました。
そこの校門のところには母親の父親の兄という方の胸像が建っています。富田家は代々教育者の家系らしく、その中でもこの方がずいぶん日本の教育界に貢献されたそうで、それで胸像が造られたそうです。
次におふくろの父親の生家をちょこっとのぞき見て、そのすぐ近くにある富田家先祖代々のお墓を見てきました。
おふくろは小学2年生のときに父親の生家のすぐ裏を流れる川で遊んでいて、誤って深みに入りおぼれてしまい、死にそうになったそうです。そこでもし死んでいたら今の僕はいないんだろーなー、などとふと考えながらその地を離れました。
そのあと4人が疎開していたお寺を探すことにしました。
地元の方に尋ねたらたぶんそこじゃないかというお寺を聞き出すことができたので、そこに行ってみることにしました。しかし周りもがらっと変わってしまっているし、母親たちも昔のことなのでうる覚えで確信をもてずにいました。
いろいろ話してみるとそのお寺のすぐ裏に大きな池があってそこで泳いだ記憶があるというので、大通りの反対側に行ってみたらそこに大きな貯水池があるじゃないですか! たまたま通りかかった市の職員の人にそのことを話して聞いてみたのですが、おそらくこれがその池じゃないかということで、お寺もここに間違いないと判明しました。
夜になるとお寺から下って墓地のある道を通り、川を渡って、ちょっと行ったところに住んでいる方にお風呂に入れさせてもらってたという話で、それも変わってしまってはいましたが、それらしい道と川と民家が立ち並んでいて、やっぱりここに間違いないということになり、みんな懐かしい思いとともに、とても嬉しい気持ちになったようでした。
母親たちにとっては本当に昔の話です。70年も昔の話になるようです。疎開していたのはわずか2年ちょっとだったらしいのですが、小学校高学年という多感な時期に体験した数々の思い出を確認したかったに違いありません。
僕としてはいつも一緒にいる母親のことを知っているようで実は知らないことがいっぱいあるんだなーと実感しました。そうすると僕の子供たちも僕のことを、あるいは僕の奥さんのことを知っているようで知ってないんだなーと同時に思いました。
秩父での滞在時間3時間ちょっとでしたが、富田家のルーツにちょこっと触れられた旅だったなーと思います。そして僕は大関家の血を受け継いでいると同時に、富田家の血も脈々と受け継がれているんだなーと改めて確認した旅でもありました。ではまた!
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